新年のご挨拶

あけましておめでとうございます

家庭教師の学び家は2022年も生徒の皆さまにご満足いただけるように努めてまいります

皆さんにとって素敵な笑顔があふれる一年になりますように

本年もどうぞよろしくお願いいたします

家庭教師の学び家スタッフ一同

冬期休業のお知らせ

下記期間を冬期休業とさせていただきます。

休業期間:12月26日(日)~1月3日(月)

休業期間中は電話が繋がらない状態になります。あらかじめご了承ください。
1月4日(火)10:00より電話受付を再開いたします。

皆さんと元気に元気にお会いできることを楽しみにしております。
どうぞ、事故やケガには十分ご注意して過ごしてくださいね。

七転び八起き

こんにちは。教務スタッフの櫻井です。今回は、挫折を感じた時の振舞い方について、あるアメリカンフットボールのコーチが選手に向けた手紙を紹介しながら、考えていきたいと思います。以下は、手紙の文面の抜粋です。

 

「打ち負かされる事自体は、何も恥じるべき事ではない。 打ち負かされたまま、立ち上がろうとせずにいる事が恥じるべき事なのである。(中略)諸君等が常に自分に問うべき事は、打ちのめされた後、自分は何をしようとしているのか?という事である。不平を言って自分を情けなく思うのか、それとも闘志を燃やし再び立ち向かって行くのか、という事である。

打ちのめされた事が無い選手等、かつて存在した事は無い。ただ一流の選手はあらゆる努力を払い速やかに立ち上がろうと努める。並の選手は少しばかり立ち上がるのが遅い、そして敗者はいつまでもグラウンドに横たわったままである。」

 

そして、この手紙の中には、人生で多くの挫折を経験しながらも、その挫折から勇気を持って這い上がる続けた偉大な男として、アブラハム・リンカーンを紹介しています。リンカーンは約30年の中で、失業し、婚約者を失い、会社を倒産させ、精神病にかかり、政治家として6度も落選しています。

想像してみてください。もし自分が同じ立場だったら、そんな状況に対して諦めることをなく、自分を信じて、努力を重ねることができますか。それとも、自分にはもう無理だと諦めてしまいますか。ちなみにですが、リンカーンはその後アメリカの第16代大統領になりました。

ここで、もう一度手紙の文面を読み直してみましょう。どんなに深刻な辛い状況でも、その時の自分に出来るベストの努力を続けることができるのか。そして、自分なら出来ると信じ続けること。それらが人間の成長の大きな差になるのではないでしょうか。

そして、もう1つ大事なことは、変えることのできない現実を嘆くのではなく、変えられる未来に目を向けること。そして、未来を変えるために努力すること。これもまた大事な考え方だと思います。

歴史上の偉人の人生を知ると、そこから学べることがたくさんあると思います。もし好きな偉人などがいれば、教科書だけではなく、自分で調べてみてください。きっと自分の人生がより良いものになるヒントがあるでしょう。

失敗は失敗の母

みなさん、こんにちは!教務スタッフの井上です。

秋が瞬く間に過ぎ去ってしまい、めっきり寒くなりましたね。感染症にかかりやすい季節になりますので、引き続きみなさんも体調管理には充分気を付けくださいね。

 

さて、10月と11月は模試が大変多い時期したね。定期テストも含めると、高校3年生の受験生たちは、ほぼ毎週テストを受けているのではないでしょうか。長時間勉強のできる週末を模試の受験に充てるので、時間的にもバランスをとるのが大変難しいですね。

そして同時に、模試を受けた分だけ、それだけ結果もたくさん返ってきます。面談のなかで一緒に振り返りをしますが、私が特に心がけていることがあります。それは、テスト結果を本人がどう捉え、何が課題か、次に向けてどうしていくべきと考えているかをまずは聞くことです。テストの点だけ見て、私から一方的に話し出すことのないように。こういった面談のなかで、成績の伸びている生徒には共通した考え方がある、つまり伸びる考え方があると感じます。

1つ目は、失敗を認め受け入れること。たとえ成績が伸びていても、全てが上手くいくことは滅多にありません。まして現役生であれば、成績が伸び悩むのが当たり前です。しかし、似たようなミスをしたとしても、人によって受け止め方は違うようです。

例えば、計算ミスをしたとしましょう。ある生徒は、「計算ミスをしたけど、解き方は合っていたから解けた問題だった」と言います。ある生徒は、「解き方は合っていたけど、計算ミスをして解ききれなかった」と言います。後者の生徒に、次に向けて何をしたらいいと思う?と聞くと、「二度とミスしないように計算練習します」と言うでしょう。「ミスをした」と自覚しているからです。前者の生徒は、何と言うでしょうか。私の経験則から言うと、「演習量を増やします」とか「この単元を復習します」とか効果が低いだろうな、と思われる対策を答えることが多いです。そして、制限時間以内に解けなかったとか、英単語の意味が曖昧だったとか、そういったこと全てで同じような振り返りが出てきます。一番怖いのは、こういう振り返りを、日々の勉強でも行っているのです。

おそらく、ほぼ無意識に、悪意なく、前者の生徒のような考え方をしている生徒がいます。この悪循環を断つ方法はいたって簡単です。自分の心のなかで、「これは失敗だった」ときちんと認めることです。しかし、自分をむやみに責める必要は全くありません。その理由は、もう一つの考え方にあります。

その2つ目は、失敗の原因は自分の行動にある、と考えられることです。まず、絶対に考えるべきでないのは、自分以外のなにかを理由にすることです。他責と言います。テストが難しかった、テスト範囲が多くて演習しきれなった、部活が忙しくて疲れて学習時間がとれなかった、授業が分かりにくかった…言い出したら、いくらでもありますね。もちろん、客観的に上手くいっていないものは変えていく必要はありますが、しかし果たしてそれだけでしょうか?

さらに、他責ばかりで考えないということは、自責で物事を捉えるということですが、これもポイントがあります。失敗の原因は自分の「行動」にある、と考えるということです。つまり、失敗したのは自分の「能力」とか「才能」とか「頭の良さ」の問題ではないのです。自分の意志で、する・しないを選択できる「行動」に問題がある、ということです。部活から家に帰って行かなきゃ…とは思いつつソファに座ってダラダラしたことありませんか?なんとなく気が乗らないからと自習室を早めに帰ったことはありませんか?目覚ましで目が覚めたのに結局勉強できずにギリギリまで寝てたことはありませんか?さて質問です。これらの行動をするために、何か能力が必要でしょうか。必要ないですよね。自分の失敗を認め、自分の行動がその原因の一部だと考えられれば、振り返りはしたとしても落ち込む必要はありません。良くなかった行動を改善していくだけです。

さて、みなさんは、どちらの考え方に近かったでしょうか。私も書きながら、自分のことを振り返っていました。せっかく頑張るなら、伸びる考え方を身に着けて、自分の夢を叶えていきたいですね。

巨人の肩の上

こんにちは。教務スタッフの南です。

万有引力を発見したニュートンが、「フックの法則」で有名なフックに宛てた書簡内で「If I have seen further, it is by standing on the shoulders of giants. (私が遠くを見渡せたのだとしたら、それはひとえに巨人の肩の上に乗っていたからです)」という一節が広く知られています。

この言葉は、12世紀から使用されている表現である言われています。この言葉が示す意味は、「我々が今まで知ることの出来なかった新しい知識を発見できるのは、これまでの先人が積み重ねてきた知識の総体のおかげだ」といったところでしょう。

この言葉を聞いて思うのは、もっと率先して「巨人の肩の上に乗る」べきだということです。知識は経験に基づくものなので、1人の人間が生涯を懸けても、自力で得ることができる知識は本当にちっぽけなものでしょう。しかし、他人に聞くことで、本を読むことで、調べることで、他人が経験した結果として、時間を懸けて得た知識を譲り受けることができます。そして、我々は自分の限られた時間を先人たちが得た知識を、さらに一歩先に進めることに当てることに使えます。

そのように、自分の時間を使えた方が有益だと思いますが、質問することが恥ずかしいと思ってしまう気持ちも分かります。だけれども、無知のままでいることは恥ずかしいことです。限りある自分の人生の多くを、無知なまま過ごすということは、巨人の肩に乗らなかった小人が見ているくらいの限られた世界の中で生涯を過ごすことと同じです。逆に、一度勇気を持って巨人の肩の上に乗れば、これまでには想像もしなかった世界が眼前に広がっていくのです。知識を知っているだけでも、自分の可能性は広がっていくものです。そして、あのニュートンでさえ、先人の知識を最大限に利用していたのだから、我々も利用すべきだと思いませんか。

ただ、気を付けなければいけないことが1つだけあります。それは思考停止ではいけないということです。分からないこと、それ自体は良いのです。しかし、自分が「何が分かり、何を分かっていない」のかを知ろうとしないのは良くありません。「何が分からないかが分からない」という状態で、知識だけ入れても分からないことが増えるだけです。なので、常に自分の状態を相手に説明できるように意識をすると、質問するべきことも決まりますし、相手も答えやすい質問になります。

受験も後半戦となり、時間の質を上げることも肝心になってきます。そのような意識を持ちながら、勇気を出して様々な内容を質問することで、自分の時間をより良く使えるようにしていきましょう。

本当のリア充とは

こんにちは!教務スタッフの南です。今年はこの時期になっても例年と比べて暑い日が続いているように感じますが(僕が暑がりだからでしょうか??)、自然の様子は少しずつ秋めいてきましたね。道端に落ちた熟れた銀杏の実を見ると、僕は今でも高校生の頃を思い出します。高校の頃は部活動でイチョウについての研究をしていました。ですので当時は9月になると、木から落ちる間際のイチョウの実を何百と採取し、それを毎日一つづつ切って中身を顕微鏡で観察していたものです。今でもイチョウの実から観察用のプレパラートを作成するスピードは日本一だと思っています。(笑)

そんな学生の頃には「リア充」という言葉が流行っていました。誰々はリア充で、俺は非リア充だ!みたいなそんな話をずっとしていた記憶があります。元々この言葉が流行した時は、「リア充」=「現実の生活が充実している」=「友達と遊んで、毎日楽しい生活を送っている」というような意味合いで使われていたと思います。それで僕も学生の頃は、運動部のように華も無い、小さな規模の部活で日々イチョウ相手ににらめっこをしていたものですから、半分自虐的に「自分は全然リア充じゃないなぁ」なんて思っていたわけです。

しかし、大人になって思い返してみると、決して華のある学生生活では無かったですが、良い時間を過ごしていたなと感じることが多いです。つまり、あの頃は本当はめちゃくちゃ充実していたのだなと。それはどうしてかというと、毎日毎日顕微鏡をのぞく生活の先には大きな目標があったからなんですね。運動部に全中やインターハイがあるように、文化部にも全国規模のコンテストがあります。特に科学の分野でいうと、日本学生科学賞という歴史あるコンクールがあり、科学系の部活で活動する学生にとっては最高の晴れ舞台です。高校生の僕にはその名誉あるコンクールに自分たちの研究成果を発表して賞を取りたい!という大きな夢があったのです。

僕が何を言いたいのかというと、日々の生活の充実というのは「何のために自分の時間を費やしているのか」ということが重要だということです。目的・目標があって、そしてそれに向かって自分の時間を使うことほど充実した日々はないでしょう。充実した日々というのは幸せです。生徒のみなさんの中には「勉強=嫌なもの」という方程式が出来上がっている人もいるかもしれませんね。しかし、そうではなく、目標があって、それに向けて自分の時間を使って努力を重ねるということ自体が、実は本当に幸せなことなんだと感じて欲しいなと思っています。費やした時間の価値を決めるのは結果ではなく過程です。たとえうまくいかなかったとしても、何度でもチャレンジすればいいだけのこと。一番もったいないのはチャレンジをしない日々を過ごすことではないでしょうか。

ちなみに、高校の頃の僕は結局大きな賞をいただくことはできませんでした。ライバルチームの研究が表彰されるのを間近で見て悔しい思いをしたことは今でも忘れません。しかし、当時大きな目標に向かって一生懸命になっていた思い出は僕の支えになっています。そのおかげで受験も乗り越えられたと思っています。志望校合格という目標に向かって、やろうと思えば自分のあらゆる時間を勉強だけに費やすことができるのは学生のうちだけでしょう。生徒のみなさんにはぜひそういう貴重な時期に、目標に向けて全力で努力をするという経験をしてほしいなと思います。

 

 

大学の推薦入試が始まりました

みなさん、こんにちは!教務スタッフの井上です。

学校が通常授業に戻り、授業や部活動など日常を取り戻しつつあるのではないでしょうか。

さて、私たちはというと10月に入ってからというもの大学の推薦入試の対策に日々奔走しています。みなさん、大学入試における、推薦対策ってどんなものかご存じですか?

 

そもそも、大学入試の推薦には、必ずしも面接や小論文等が必要なわけではありません。ペーパー試験のみ、という大学も少なくはありません。しかし、近年は、面接または小論文等が課される割合が増えてきたように感じます。実際、匠個別予備校の生徒でも、一般入試を受ける予定でいても、第一志望の大学や滑り止めの大学を推薦入試で受験する生徒が三分の一から半数程度います。また、国公立大学の推薦入試を受験する生徒も毎年若干名います。依然として一般入試のみ受験する生徒がマジョリティーではありますが、しかし、受験人数の増加は推薦入試のメリットを反映していると感じます。

 

現在の高校1・2年生、また中学生の皆さんと保護者の皆さまに予めお伝えしておきたいのは、「推薦入試は付け焼刃では無理!!」ということです。ここで、付け焼刃、と表現しているのは、高校3年生になってから慌てて調べ始め、推薦入試があったので受験しようとすること、つまり準備期間が十分に取れないのに土壇場で推薦入試を受験しようとすることです。

 

第一に、評定の問題です。これに関しては、何度か匠通信でもお伝えしたことがありますので、くどいかもしれませんが…笑 大学入試における評定は、《1年生1学期~3年生1学期の評定平均》が評価に使用されます。3年生になってから評定を1上げる!のはかなり厳しい状況です。

 

第二に、志望動機や将来のビジョンについて深く考えられない、という問題です。ここで、最初のお話にもどるのですが、大学入試の志望理由書や自己PRを書くのは非常に大変です。志望理由書は大抵の場合、少なくて400字から、多くて1000字強で説明する必要があります。そして、それとは別に、自己PRや、高校時での成果や取り組み、アドミッションポリシー(AP)についての考えをまとめるなど……ついこの間、生徒と取り組んだものでは、両面3枚閉じの出願書類で、ちょっとしたパンフレットを作製した気分でした。想像してみて下さい。いくら自分の志望校とはいえ、それだけの長さで、もちろん論理的に、ありきたりでなく、人と被らないようなオリジナリティの出せる志望理由を書けますか?大学のホームページを少々見たくらいでは書けませんよね。そういう文章は、私でさえすぐ分かります。

 

想像以上に、推薦入試は準備に時間と労力がかかる入試方式です。しかし、じゃあ推薦なんか考えずに、勉強だけに集中して一般だけ受ければいいじゃないかと考える前に、少し考えてみて下さい。なぜ、その学部に行きたいと思うのか、なぜその大学でなければいけないのか、自分が将来なにをしたいのか、それらを考えるのは、なにも特別なことでは無いと思います。さらに言うと、大学受験をするから考えないといけないことではないですよね。週に1回、月に1回、考える機会を設けて、本当に少しずつ考えていけば良いことです。

ぜひ、一ご家庭でも一緒に考えてみる時間をつくってみてはいかがでしょうか。

まだまだ揺れ動く2025年度大学受験

みなさん、こんにちは!だんだんと涼しくなってきました。体調を崩さないように気をつけくださいね。さて、9月末で学校も通常通りに戻るという生徒さんが多いでしょうか。中間テストも迫っていますね。1年のなかで一番長い2学期。実りある学期にしましょう。

 

今回号では、もう少し先の大学入試、現在の中学3年生が大学受験生になる2025年入試のことをお話ししようと思います。

 

よくご存じの保護者様もいらっしゃるかと思いますが、2025年入試で出題科目がさらに変更・再編されます。色々と情報が錯綜し分かりにくいとお感じの方も多いかと思いますので、確定済み情報を集めて、少しでも分かりやすくお伝えしようと思います。

 

大きなポイントは3つ。

1.国語・数学の記述問題の出題は正式に見送り

2.英語外部試験の利用も正式に見送り

3.現行の出題30科目から21科目へ再編

 

1.をみて「じゃあ、現代文の勉強や文章を書く練習をそこまでしなくても大丈夫か~」とは考えないでくださいね。大学の個別試験で痛い目をみます。現場で指導している身から経験則でお伝えすると、ここ数年、大学別試験で記述形式が急速に増えてきた、と実感します。特に、上位になればなるほど、その傾向が強いように感じます。例えば、記述問題の設問数が増える、制限字数が増える、自由記述の問題が出題されるようになるなど…受験生と添削者にとっては、なんとも厳しい仕打ちです……笑。

 

2.も気を付けて下さい!受験で資格利用できないなら英検を受ける必要性が薄いのか、というと、全くそんなことはありません。たしかに出願にあたって直接的には使えませんが、大学入試共通テストのリスニングの出題傾向が英検の傾向にとっても似ています。実際、中学時から、コツコツと英検を受け続けてきた生徒さんは、共通テストのリスニングにそこまで困らないように感じます。

 

最後に3.ですが、目新しい変化というと「情報Ⅰ」が新科目として新設されます。…ただ、入試で情報を課すかどうかは各大学がこれから判断する段階に入るので、実際にどれほどの国公立大学が受験科目とするかは未定です。社会や理科については、現行の科目が統合されて科目数がかなり減るという発表ですが、実質的に学習する内容にはほぼ変わりがありません。私が注目している変更点は、数学Cの新設(復活)です。(数Cという響き、懐かしいですね笑)数学Cには、数Ⅱからベクトル、数Ⅲから平面上の曲線と複素数平面が移行するようです。つまり、現在教科書で取り扱っていない内容が増えることはありません。ただ、数Ⅲの単元は共通テストのこれまで出題範囲外だったので、共通テストの出題範囲が増える、ということになります。文系国公立志望生にはショックな変更でしょう。文系でも理系でも、早めからきちんと対策をしていく必要がありそうですね。

 

 

いかがでしたでしょうか。少しでも分かりやすく読んでいただけたら幸いです。

これからも、「これ知っといて良かった!」という情報をたくさん発信していきたいと思います!

金魚鉢の法則

こんにちは!教務スタッフの南です。入試まで、残り半年を切りました。受験生のみなさんはもう突き進むだけです。学校も始まりましたし、気持ちの面でライバルに負けないように気合を入れて新学期に臨みましょう!

今日は「金魚鉢の法則」というものについてお話したいと思います。金魚を育てるときに小さな金魚鉢に入れて育てると小さな金魚に、大きな金魚鉢に入れて育てると大きな金魚になるということが知られています。このことを、「金魚鉢の法則」と呼びます。(ちなみに最大30㎝ほどにも成長するようです!)つまり、育てる鉢の大きさによって金魚の成長度合いも変わるということですね。

このことを自分たちに当てはめると何が言えるでしょうか。ここでいう金魚鉢は自分の器、つまり自分自身がどれくらいの視野の広さ、視座の高さをもって生活しているのかということに言い換えられます。自分の可能性をより大きく捉えて、大きな夢や高い目標を設定するほうがより大きく成長することができるということです。塾生のみなさんの中には自信が無くて大きな目標を掲げるのが恥ずかしかったりとか、やる前から諦めてしまったりとか、そういう人も多いのではないでしょうか。目標達成できるかどうかは最終最後やってみるまで分からないですし、仮に達成できなかったとしてもそれで全てがダメということでは無いです。挑戦する中でどれだけ自分が成長できたかということは必ず次につながりますからね。大きな目標に向けて頑張る人の方が、より大きく成長できる可能性が高いということを覚えておいてください。そして、大きく成長する人は大きな成果を得る可能性も当然大きいということです。

さて、少し話は変わりますが金魚の習性からもう一つ学ぶことができます。金魚にエサを与え続けると、いずれはエサにあまり反応しなくなってしまうんですよ。それはエサが自動的に降ってくる環境に慣れてしまい、だらけた金魚になってしまうのですね。しかし、ここに新しい金魚を入れると、新しい金魚はエサに貪欲ですから活発にエサを食べようとするんですね。そうすると元からいた金魚も、何かを思い出したかのように活発にエサを取り合うようになります。

これはある意味、初心を忘れてはいけない、今の状況に満足しないということを教えてくれるのではないでしょうか。人間は日々の生活の中で初心、初志を忘れがちです。まずは目標を立て、そしてその目標を立てたときの自分の気持ちを時に思い出しながら日々頑張っていきたいですね!