可能性を信じ,存在を認めるということ②

皆さん,こんにちは!教務スタッフの森部です。先日行われた木下晴弘先生による講演の内容の中で印象に残ったことをまとめてみたいと思います。本当は行きたかったけど日程が合わず参加できなかった,そもそも講演ってなんか胡散臭くて手が出しづらい。そんな生徒様,保護者様にも知っていただきたくて!という想いで書きました!

今回は第二弾!前回の続きで,子どもに接する際に教師や保護者が「子どもの存在自体の軽視」をすると子供がどうなるかについてです。

次に後者についてです。経験の少ない子どもが自分で自らの可能性を引き出すことはなかなか難しいです。そんな時子どもは周りの大人に承認を求めてきます。その際に、親御さんや教師が陥りがちなのは、1階である基礎部分の「存在そのものに対する承認」をしないで、2階部分のdo、そして3階部分のhaveのみを評価してしまうことです。具体的に言うと、子どもが目の前にいることは当たり前で、本人が大事にしていることや伝えたい事には目もくれず、行動に対する姿勢や努力量などのdo、そしてテストの点数や運動の勝ち負けなどの結果であるhave、つまり2階、3階部分だけを子どもを認めるツールとしてしまうのです。周りの人(特に密接な関わりのある人)に自分の存在や考え方を認められない場合、当然子どもは自身を肯定することが難しくなります。子どもにとって基礎が無い状態では、当然認めてもらえないものに努力するはずもなく、努力しなければ結果は出ません。でも大人はこう言います。

「なんでそんなに勉強しないの?」、「もっと勉強しないと!」

「あなたはなんでそんなに出来ないの!?」、「周りの子に負けちゃうよ!」

子どもからすれば、自分の存在が認められず、何のために頑張っているかが分からない状態で叱りを受ける。そうなってしまうと子どもに残された道は反発か無関心です。「なんでそんなに怒られなきゃいけないの?」、「認められないものに関心を示すだけ無駄だ。」、「自分はやっても出来ないでしょ。」こうなってしまい、自分の可能性をどんどん狭め、自信を失い続ける心の成長のない子どもが育ってしまいます。

今回はここまでです。次回は「では距離の近い大人は子どもとどう接するべきなのでしょうか。」について書きたいと思います。お待ちください!!