自己肯定感と言葉がイメージを作るということ

こんにちは。教務スタッフの合田です。受験シーズン真っ只中になり、より一層身が締まる思いです。

さて今回は先日見たNHKのテレビ番組「SWITCH」での金田一秀穂先生と厚切りジェイソンさんの対談について書かせていただきます。金田一先生は「国語の神様」と呼ばれており日本語について、厚切りジェイソンさんは外国からきた方だからこそ見える視点で日本語の矛盾についてお話をされていました。全て興味深かったのですが、その中で2点「自分が嫌いかどうか」「私達は言葉を食べている」という話が特に面白かったです。

日本人の大半は自分のことを好きにはなれない、アメリカ人の8割は自分自身に満足しているということで、これは最近では自己肯定感という言葉で広まっています。自己肯定感とは自分を長所だけではなく、短所も含めて存在を認めてあげ、肯定する感覚のことです。金田一先生は自分の事で悩み葛藤していくことは知恵があるものの当然の結論だとしており、対してジェイソンさんは悩んでも仕方がない、楽しんだもの勝ちであるとおっしゃっています。悩むことを「なんで自分だけが…」ということではなく、金田一先生のように「誰もが悩んでいる」と言う意識で行うと自信がついてくるのではないかと思います。

「言葉を食べている」という話では、金田一先生は考えやイメージは頭の中で言葉によって作られていくとおっしゃっていました。例えば「お刺身」という言葉を聞くと美味しそうなイメージですが、「死んだ魚の生肉を切ったもの」とした瞬間に食べたくなくなる、つまり言葉がイメージを作っていくということでした。次に「脳天気」という言葉。頭の中が晴れるということは空っぽで何も考えていない状態と言う金田一先生に対し、ジェイソンさんは晴れているという事は快適ではないか。これは本当にその通りだなと感じました。自分の頭の中の言葉をポジティブに変えるだけでイメージが変わっていく。これは自分も含めて子供たちにも考えて欲しい部分ですね。自分だけが勉強で悩むわけではなく、みんな悩んでいる。やっても出来ないではなく、やりきったら出来る。頭の中の言葉を変えて自分の心のブレーキになっているものを外していきましょう。

 

可能性を信じ,存在を認めるということ③

皆さん,こんにちは!教務スタッフの森部です。先日行われた木下晴弘先生による講演の内容の中で印象に残ったことをまとめてみたいと思います。本当は行きたかったけど日程が合わず参加できなかった,そもそも講演ってなんか胡散臭くて手が出しづらい。そんな生徒様,保護者様にも知っていただきたくて!という想いで書きました!

今回は最終弾!内容は,距離の近い大人の子どもに対する接し方について書きたいと思います。

では距離の近い大人は子どもとどう接するべきなのでしょうか。

まず最も近くにいる親御さん。「一緒にいるだけで幸せ!」、「いつもありがとう!」、「生まれてきてくれて本当にありがとう!」,「たとえどういう状況になっても,あなたはあなたであることに変わりはないよ!」少し恥ずかしいかもしれませんが、この本質的な存在承認は近親関係においてのみにしか成立しません。唯一無二である親の子どもに対する承認こそがその子どもの基礎根幹を作るのです。褒める事とはまた段階が違いますね。

また教師やその他の関わる人から言うと「一緒にお話しするだけで面白い」、「こういうところ、素敵だね」、「ここは誰にも負けない長所だと思うよ!」、「その笑顔、満点!」、「お前なかなかやるな!」などたくさんありますね!これはいわゆる褒めるということでしょうか。

このように身近な人にたくさんたくさん認めてもらえる子どもはどうなるか。

「これは自分の中ではとっておきの長所だ!」、「もっとこういう風にしたら、よくなるんじゃないか」、「そうなるためには頑張らないと!」、「自分を認めてくれる人にもっと努力して結果を出し、さらに認めてもらおう!」,「応援してくれる人に感謝の意を示そう!」

このように、確固たるbeの上にはdoからhaveにいたるまでの過程がくっきりと見えるようになります。

これが見え、実際に行動を起こし、そしてそれに伴う結果を受け入れることが出来て初めて自立をしたと言えるのではないでしょうか。子どもたちの自我の目覚めに大きな影響を与えるのが、周りにいる大人です。そのことを決して忘れることなく、日々僕自身もどうありたいかを考え、ともに心の成長を求めていきたいと思っています!!

長編になりましたが、ありがとうございました!

可能性を信じ,存在を認めるということ②

皆さん,こんにちは!教務スタッフの森部です。先日行われた木下晴弘先生による講演の内容の中で印象に残ったことをまとめてみたいと思います。本当は行きたかったけど日程が合わず参加できなかった,そもそも講演ってなんか胡散臭くて手が出しづらい。そんな生徒様,保護者様にも知っていただきたくて!という想いで書きました!

今回は第二弾!前回の続きで,子どもに接する際に教師や保護者が「子どもの存在自体の軽視」をすると子供がどうなるかについてです。

次に後者についてです。経験の少ない子どもが自分で自らの可能性を引き出すことはなかなか難しいです。そんな時子どもは周りの大人に承認を求めてきます。その際に、親御さんや教師が陥りがちなのは、1階である基礎部分の「存在そのものに対する承認」をしないで、2階部分のdo、そして3階部分のhaveのみを評価してしまうことです。具体的に言うと、子どもが目の前にいることは当たり前で、本人が大事にしていることや伝えたい事には目もくれず、行動に対する姿勢や努力量などのdo、そしてテストの点数や運動の勝ち負けなどの結果であるhave、つまり2階、3階部分だけを子どもを認めるツールとしてしまうのです。周りの人(特に密接な関わりのある人)に自分の存在や考え方を認められない場合、当然子どもは自身を肯定することが難しくなります。子どもにとって基礎が無い状態では、当然認めてもらえないものに努力するはずもなく、努力しなければ結果は出ません。でも大人はこう言います。

「なんでそんなに勉強しないの?」、「もっと勉強しないと!」

「あなたはなんでそんなに出来ないの!?」、「周りの子に負けちゃうよ!」

子どもからすれば、自分の存在が認められず、何のために頑張っているかが分からない状態で叱りを受ける。そうなってしまうと子どもに残された道は反発か無関心です。「なんでそんなに怒られなきゃいけないの?」、「認められないものに関心を示すだけ無駄だ。」、「自分はやっても出来ないでしょ。」こうなってしまい、自分の可能性をどんどん狭め、自信を失い続ける心の成長のない子どもが育ってしまいます。

今回はここまでです。次回は「では距離の近い大人は子どもとどう接するべきなのでしょうか。」について書きたいと思います。お待ちください!!

可能性を信じ,存在を認めるということ①

皆さん,こんにちは!教務スタッフの森部です。今回は先日行われた木下晴弘先生による講演の内容の中で印象に残ったことをまとめてみたいと思います。本当は行きたかったけど日程が合わず参加できなかった,そもそも講演ってなんか胡散臭くて手が出しづらい。そんな生徒様,保護者様にも知っていただきたくて!という想いで書きました!

唐突ですが,皆さんbe→do→haveの法則をご存知ですか?この法則は家庭教師学び家の指針として大事にしている内容の一つでもあります。それはどういうことかというと,

Be(自分を認める事,自分の可能性を見出すこと,自分にとっての生き方や考え方)

Do(自分の可能性を引き出すためには何が必要か,実際にするべき努力)


have(目標達成,幸せの実現)

人はこの順番によって,何かを手に入れるhaveまで辿り着くということです。

もう少し分かりやすくするために建物を例にすると,

1F. be : 自己承認, 2F. do : 実際の行動,努力 3F. have : 自己実現

このようにbe, do, haveを、それぞれ1F,2F,3Fとします。
家を建てる場合、当たり前ですが1階から建て始めないと家は建ちません。自己承認という基礎の上に実際の行動や努力が生まれ、その結果として自己実現を得る可能性があるということです。

さて,ここでそれぞれ生徒目線と教師や保護者目線で多々起こってしまう「beの軽視」についてお話しします。まずは前者について,僕はよく生徒にこういう質問をします。「将来何がしてみたい?決まっていないなら,今自分が優れていると思うことは何?今何をしている時に一番楽しい?」生徒のほとんどはこう言います。

「分からない。」

学年が若ければ若いほど,この質問に答えるのは難しいのかなと思います。でも生徒の皆さん,よく考えてみてください。何のためか良く分からず勉強を続ける事や,あれしなさいこれしなさいという指示に対して,辛い!!と思って「もういいや(ちょっと親に小言を言われるだけだし)」少しでもこう思ったことがないでしょうか。周りが勉強しているから,親が勉強しなさいっていうから,それらは決してbe:自分ではないです。beが相手を納得させるためにあるうちはその先の努力に耐えることなど到底不可能であり,もちろん行動無くしては自分の本当の目標達成に至ることはありません。「分からない。」ではなく「考えていない。」のです。さらっと書いてしまいましたが,これら生徒に問うような内容に対しては大人でも日々考えていないと答えることが出来ないと思います。

今回はここまでです。次号をお待ちください!!