「あたりまえ」なものにこそ「ありがとう!」

こんにちは!スタッフの南です。いきなりですが、先日「なるほど!」と思ったことがありまして、まずはそれを紹介したいと思います。それは何かというと、子どもと大人の違いについての、とある人のお話です。子どもと大人の線引きというのは人それぞれ色々な考えがありますよね。僕も自分なりに「こういうのは子どもで、こういう風になったら大人だよな」みたいに思っていることはありますが、その方がおっしゃったことがすごく腑に落ちたのでお伝えしますね。その人いわく「子どもは与えられる存在で、大人は与える存在なんだ」とのことです。一見当然のことのようですが、なかなか深いなと思いまして、それは「自分が周りから何をもらえるのかということよりも、自分が誰に何を与えることができるのだろうかと考えること」が生きていくということの本質的な部分なのかなと僕は捉えました。勉強というのは、広い意味では自分に力を蓄える過程のことを言うと思うんですけど、それはあくまで過程であり手段なので、それを使って誰に何を与える人になるのかということがやはり大事だと思います。

さて、タイトルの「あたりまえ」なものにこそ「ありがとう!」ということですけれども、これも最近僕が実感したできごとがあるので、それをふまえてお伝えしたいと思います。

年が明けて1月の中旬ごろから新型コロナウイルスの感染が再拡大しました。特に今回はあらゆる世代、場所で拡がりましたね。教育現場も影響を受けて、小・中学校、高校でも多くの学校で学級閉鎖などの措置がとられることとなりました。高校だといきなりオンライン学習に切り替わることもありましたし、部活動ができない日が続いたりもしました。そういう状況になって、やはり感じたのは普段何気なく受けている学校の授業や部活動も、いざできない状況になると困ることが出てくるということですね。つまり、いつも学校で授業を受けられて、難しいことをあの手この手で教えてくれる先生という存在がいることって本当に本当にありがたいことなんだなって感じますよね。ただ、2年前にも同じような状況で、全国一斉休校という事態が起こり、そのときも同じように学校や塾で直接勉強を教えてもらえるのってありがたいなと感じたはずなんです。しかし、何も意識せずに月日の流れにただ身を任せてばかりだと、普通の生活が当たり前となり、ありがたみも薄まってしまうのですね。

ですので、僕は普段の何気ない生活でも、もしそれが叶わなかったらという視点で考えられる人は感謝力が高いと思います。そして、感謝力が高い人はモノを大事にし、人を大事にし、そして自分を大事にすることができると思っています。と、偉そうなことを言っておりますけれども、ブログの記事をこうしていろんな方に読んでいただけるのも全然当たり前ではないなと思っております。いつも読んでいただきありがとうございます。少しでもプラスになるような記事をご提供できるように、これからも精進し続けてまいります!